どっちなんだろう、どっちもなんだろう

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東京ダイナマイトのハチミツ二郎さんの『マイ・ウェイ』を読みました。色々ぶっちゃけて書いているということを耳にしてましたが、自分で読んでみるまで判断はできないと思っておりましたが、これはどっちなんだろうというのが、最終的な感想ですね。

あまりこの言葉を使いたくはないのですが、それでも使わせていただくとすれば、プロレス的に書いているのか、本心なのかどっちなんだろうと。煽る意味でってのもそれが両方に当てはまるので難しいんですが、自虐的にこんな酷いことされてるオレってカッコいいでしょ、面白いでしょという表現の一環としてのエピソードなのか、本気でこんな酷いことをされていました。訴えたい程ですっていう意味なのか、それがどっちなんだろうと思って読んでたんですが、これ結局答えのない問題だと思う。

というのも、そもそもが芸人である以上、全てのことに対して笑いに変換してしまうので、究極どこでどう死のうが面白いでしょになってしまう。どんな理不尽でもそれを俯瞰的に、メタ的に捉えて、こんな状況にいるオレってって笑って見てしまう。だから文字だけで見るとその行間は広いのか狭いのか判断が難しい。前後の文章も含めても難しい。それが丁寧なフリなのかもしれないからだ。面と向かって話していてもこれはなかなか測れる距離ではないと思うセンシティブな事だったりもする。

だから面白い。どっちなのかは、それはどっちもなんだから面白い。白黒はっきりしないから面白い。それは日々の体調でも変わるだろう。心持ち一つで右にも左にも振れるだろう。あえて白黒つけなくても、ある時は白、ある時は黒、ある人に対しては白、またある人に対しては黒というどっちでもある。だから面白いんだと思う。

そして言及しなければいけない事とすれば、その理不尽を強いていた方である。往々にして強いている方は無自覚なのである。であるからこのことを議論しようにも議論にならないのである。だって無自覚なんだから。人を殺してはいけないと思っていない人に対して、どうして殺したの?と言っても、それを悪いと思っていないからに決まっている。悪い事だとわかっていてするのはまた別問題だが。

これは知らず知らずにそうなったという場合もあるだろうが、基本的には受け手の気持ちを考えずに、自分はそうされてきた、または自分はそうされても傷つかないという、自分のモノサシで他人を測った結果、違った答えが出るということに尽きる。つまり、他人を思いやる気持の欠如だ。人のことを考えれば、この発言がどうとられるだろうとか、もしかしたら間違って伝わっていないだろうかという事に無自覚だから測り間違えてしまうのだ。

しかし人間は自分のモノサシでしか人を測れない。だから自分のモノサシが全て正しい目盛りがついていると自惚れてはいけないのである。たまには人のモノサシを見せてもらったり、自分の目盛りが間違っていないかの確認作業は必要である。

最終的に、身体的な、命の話になっていることからも、これまでの人生のあれやこれなんか、まだ生きてるんだし不問だよとも読み取れるし、不問まではいかなくとも、今、生きているってだけでいいじゃんとボクは読み取りましたが、どうなんでしょうか。

おまけに水道橋博士のメルマ旬報での解説者の田崎さんのコラムも読みましたが、それも含めて非常に面白い本でした。

配信で本の感想を話してるトコです

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投稿者:

hara1000

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