「おぼえていても、いなくても」と

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蛭子能収さんのほんわか脱力エッセイ「おぼえていても、いなくても」をたまたま買ったサンデー毎日の広告でみつけて、それが発売日直前だったので、当然発売日に買って読み終えた。その前に出てた「認知症になった蛭子さん」も未読のままだったので、続けて読んだ。
ボクはもう随分と昔から蛭子さんが大好きで、当初はスーパージョッキーのガンバルマンのあのアニメというかイラストが気になってて面白い絵だなぁと思って見ていて、93年か4年頃に初めて漫画を読んだ。それは何だったかな。短編集ってか、長編書いてないんで全部が短編なんだけど、それに衝撃を受けて、古本屋巡りが始まってガロに出会って、新刊が出ればってかほぼ出ないんだけど、買って読んでた。96年くらいだったか古本屋で集めた蛭子さんのお漫画の書評をホームページに載せ始めて、コンプリートしてた。まだインターネットが平和な頃だったので、そんなボクのホームページを見つけて東京乾電池の方からメールをいただいて、次の公演の資料に、漫画の内容を教えて欲しいといのが来て、メールのやり取りをしたなぁ。それからしばらくして大阪公演に招待してもらって観に行ったけど、全然漫画関係なかったなって覚えがあるけど、どんんあ内容だったかも今となっては忘れてしまったわ。上本町の近鉄劇場だった覚えがある。
そんなこんなで、漫画以外にもエッセイはよく書いてるので出てれば買ってたんだけど、ずいぶんサボる時期が続いて、久々に読んだらやっぱり面白いね。何がって自由でいいんだよね、蛭子さんって。いくつか抜粋してみるけど、これを面白がっていいのかどうかっていう問題もはらんでいて、でもそおういうところが面白いじゃない。

原稿を間違えて別々の編集部に送ってしまったことがあった。雑誌が届いて驚いた。エロ雑誌用の原稿がギャンブル雑誌に、ギャンブル雑誌用の原稿がエロ雑誌に載っていたのだ。担当者が読まずに入稿していたのだ。掲載誌をみて笑ってしまった。どちらの編集部からも指摘はなかった。読者からの苦情もない。おおらかな時代だ。 (おぼえていてもいなくても46pより引用)

蛭子さんのみならず、その関係者がすでに面白いエピソードだね。

ぼくは人を殺すのも、殺されるのも嫌だ。マンガの中ではよく殺したけど、実際に殺したいと思わない。そおれに、人を殺して捕まったら、塀の中にずっといることになり、自由が奪われる。自由を奪われるのはつらい。もし、誰かを殺したくなったら、昔のぼくのマンガを読んでほしい。ぼくの描く世界があまりにもばかばかしくて、殺意が消えるかもしれない。(おぼえていてもいなくても90pより引用)

本当に自由が第一。自由でいいなと思えるのは、自由を奪われないようにしてるからで、奪われないためにはずっと自由でいてるわけではないんだよね。

以前、尊敬するビートたけしさんと、知り合いの平口広美さんという漫画家に会いに行った帰りに、「今から蛭子さんの家に行きたいな」と言われたことがあります。オレはたけしさんのオーラで緊張して疲れていたし、これ以上話すこともないから、「片付いていないからダメです」と断りました。上司でも、芸能界の重鎮でも無理に合わせるのはツラいものです。たけしさんはオレの嘘を見抜いたうえで「そっか」と。あんなに大御所なのに、うごく気を使うひとなんです。 (認知症になった蛭子さん166pより引用)

これホントすごいエピソードだよね。あのたけしさんの誘いを断るんだもん。なかなか普通の人にはできないし、それをしちゃうのが蛭子さんなんだと思ったらスゴイよね。

金を稼ぐときは自分を殺した方がいいと思ったら、自然と笑えるようになりました。だから、何度も言うように、仕事は「死ぬ気になって」やることではなくて、「死んだふりをして」やるもの。死体になったつもりで働けば、嫌な事も受け流せるし、適当に笑うことなんてそんなに難しいことではありません。オレも「エビス顔」だと言われますが、本当に笑っているわけではありません。 (認知症になった蛭子さん176pより引用)

死ぬ気ではなく、死んだつもりで、ってこれ深いよね。

とまぁ他にもめちゃくちゃ金言の宝庫なんだけど、何行ってるのムキー!ってなる人もいるのかなぁ。もっとおおらかに、自由にみんなすればいいと思うんだ。テキトーにしてりゃ。人生なんてテキトーに生まれてきたんだからテキトーに流せばいいってホント思う。でもたまにホンキになっちゃうからね。その加減をそれこそ適当に。

投稿者:

hara1000

パ紋の人です。http://hara1000.com/rogo/ 詳しくは書籍を。陣内智則の面白い方。イラスト、ロゴ、CG、文筆とか。TVBros.テレビ探偵舎元メンバー

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