読んでいれば変わったと思う?

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今、世間的な話題にも関わらず、まだわからないという事にして明言を避けている事件?事象がある。それはもう昔のことなので、と片付けられるものではない。それによって傷ついた人がいるのは事実なのだから。そんな中、今読んでいる本に、その初動の取り方の重要性に気付かされることがあったので、引用しておきたいと思う。自分もいつそういう場面に遭遇するかわからないから。そして5月に発表になる文學界の新人賞に応募した小説は、そんな時代の先を描いた小説なんですが、結果はどうあれ早く公にしたいな。(ちなみに空想彼女毒本を元に書いていますのでお楽しみに!)
以下、武田砂鉄著『なんかいやな感じ』より引用

昔、こんなことをやっていた、こんなことを話していた、というのは、どこまで自分のものとして問われるべきなのだろう。決まったルールはないし、立場によっても異なる。それなりの立場にある人が、かつてのイジメ経験を再度問われる。差別的な言動を蒸し返される。それは今の話ではないでしょうと擁護する人もでてくるが、その話について、今、どう思っているのかという問いは常に浮上しうる。黒歴史としてしまっておいたものであっても、それが今、浮上したのであれば、今、答える必要がでてくる。問いかけるほうが、「あの時にあんなことやってた奴」ではなく、「あんなことやってたのを、今、どう思っているか」を徹底していればいいが、「あんなことやってた奴」を掘り起こすだけでおわてしまっているケースも多い。それでも、指摘されたほうは、「今、こう思っています」をしっかり伝えなければいけない。それをしないと、大雑把な言葉が飛び交い続ける。キャンセルカルチャーという言葉が行使される範囲はまだ曖昧だが、広めにとっておいて、なんでもそれってことにしてしまおうとする動きは加速している。
 やってはいけないことをやっていた事実は、いつまでだったら許されるのか、そんな議論が定期的に起きている。議論というか、範囲の設定が望まれている。ハラスメントの議論でも、どこまでだったら許されるのか、という問いかけが頻繁に浮上する。許容される範囲をめぐる話はこれからも頻繁に繰り返されていくのだろう。
「なんかほら、こういう世の中だから、マジでもうぶっちゃけたこと、何も言えないくなっちゃったよね」という、昔のテレビマン的な愚痴が方々で飛ぶ。「今だから決して許されないことだけど」という前置きを必要とする事象が積み上がっていく。それを「自由度」に変換し、ったく、今は自由がないよね、あの頃は自由だったよね、と定番の愚痴にする。結果、過去がいたずらに礼賛される。しかし、過去は自分の都合で加工できる。たとえ、あの時、許されていたものでも、本当は許されるべきではなかったのかもしれない。自分なりに強引に肯定した状態で記憶されているだけかもしれないのだ。

松本人志さんの性加害報道での初動は、完全に間違っていると思う。吉本興業の初動も。過去にそういう飲み会があった。そういう飲み会で男女の仲になったこともあった。しかし同意の上でのことだと思っていたが、強制的に感じていたというのであれば、それは誠に申し訳ないことをしたと謝罪しなければならない。言葉や行動は受け取った側が加害と感じれば、それはまごうことなき加害なのだから。いくら当時お酒の場であろうとも、どういうノリだったのかも関係なく、そう思われたのであれば加害に変わりはない。時間も経って非常に苦しい時間を過ごしてきたことを申し訳なく思い、誠心誠意謝罪をするのが筋だろう。

そして吉本の対応もこれまた間違っていると思うのは、本人にどういうヒヤリングをしたのか知りませんが、訴えると言ったかと思えば、裁判は個人でするって、どういう立場なんだよ。守る気ないのか、守れないと思ったのか、言ってることがブレている感じから、おそらく、松本さんに対して何も言える人が居なく、ホントに裸の王様にしてしまったんだろう。

報道によって笑ったことがないとか、もう笑えないとかそれはまた別問題で、笑えなくなった人はいるだろうが、過去に笑わせてもらった事実は揺るがない。しっかり反省というか時代を捉えて、考えを改めて出直して欲しいと心底思います。とはいえ時代に対応できない、アップデートできなければ、中古屋にいつまでも売れずに埃が被った状態になってしまうけど、それすらも、面白がって拾ってくれる人は必ず居るので、どういう形になるかわからないけど、創作や、発表はし続けて欲しいと思いますが、まぁテレビには戻ってこれないでしょうね。ただ爆笑問題の太田さんが言ったように、1番笑いの隣にいるってのは確かだと思うけど、そうとう難しい問題だよね。だってそこには被害者がいるんだから。それでなんでも笑いにしたらいいのか?というそれすらも過去の文化になってしまってて、今はそういう時代じゃないとも思うし。笑いにできなくても、笑顔にできればいいね。

この本は昨年23年9月に出ているので、これ読んでたら初動を間違わずに済んだだろうし、そもそもここに書かれているのはあの小山田圭吾問題のことだから、そこから何も学んでいなかったのかなとさえ思うし。小山田圭吾問題の時はワイドナショーやってたから、なんて言うてたんかな?

こういった問題の根本は何かと考えた時、あまりにも謝れない人が増えすぎたと思う。勇ましいことを言ってリーダーシップを気取るあまり、自分の非を認められない症候群というか、単に謝れない人が多すぎる。タレントに限らず、特に自民党や維新の政治家は特にそうで、あいつら謝ることをしないよね。それがリーダーシップと勘違いしてるというか、勇ましく断定を強いてくる。
右向け右!と号令をかけてくれた方が、右向けばいいんだと考えなくて楽なんだけど、まてまて。なんで右向くの?って普通疑問に思わない?ホントに右でいいのか?と疑いを持たないかね。そもそも右左の2択?上も下もあるじゃんって考えないの?勝手に選択肢を用意されて、しかも強制的に決められてる事に気づかなくちゃ。
これは歴史修正主義や、自虐史観だと言ってる人の、言い分と全く同じだよね。虐殺は無かったとか。いやあったんだからちゃんと謝れよ、そして2度と起こらないように、歴史に刻んで学んで、戒め続けなければダメじゃん。それを無かったとかと言うのは間違ってるよね。その構造がそのまま初動に表れてると思うんだ。つまり右傾化しているし、完全に統一教会の言いなりなんだよね、新しい教科書を作る会からそれは始まっているとボクは思うけど、あの頃からず〜っと茹でガエルにされてるんだよホントに。と思いますね。

さよマエ面白いよね。夫婦仲っと親子の仲と、優しくしてくれた人が実はな感じが、どうなっていくのかな。

『ハラヘリのウタ』ミニアルバム6曲入り!各種配信サイトで絶賛配信中ですので、聴いてね。配信から4月経って、配信の売り上げが出たんですが、これで夢の印税生活や!と思ってたんですが、700円でしたわ。新曲もポツポツ覚書があるので、またまとめて作らなくちゃな。

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